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更新日 : 2006.1.5
新年挨拶に代えて

会長 五十嵐日出夫 


五十嵐会長写真新年明けましておめでとうございます。年頭に当たり、皆様のご健勝と一層のご隆昌を祈念申し上げます。

もう今では昔になりましたが、新年になると我が家にも琴似神社から宮司さんがお出でになり、神棚のお祓いをし、祝詞を奏上して下さいました。
棚には榊、清水、洗米、清酒等を供え、新年ではこの他に鏡餅が供えられておりました。このお供事は長男の私の役目でしたので、この日の朝には、いつもより少し緊張していたものです。

「掛けまくも畏き … … 諸々の禍事 罪穢有らむをば 祓へ給ひ 清め給へと白す事を聞こし食せと 恐み恐みも白す」

祭事が終ってお接待になりましたが、その時、私は宮司さんに「仏教にはお経があり、キリスト教にはバイブルのような教義を示す聖典がありますが、神道でそれに相当するものは何ですか」とお尋ねしました。

宮司さんは「それはありません。神道は人々が内面に持っている『清き心、明(あか)き心』を依代(よりしろ)として成り立っているのです。そして依代の印として時には注連縄(しめなわ)を張ります。たとえば相撲の横綱もその一つですから、横綱を身に着けた時の関取は、力が強いただの相撲取りではなく、神様が依代とされた関取ですから、人格にも勝れていなければならないのです。」とおっしゃいました。

最近では、あまり見かけなくなりましたが、正月にもなると、玄関には注連縄が張られ、門松が据えられるのは、その年の幸福をもたらす歳神様(としがみさま)がお出でになる目印であり、依代だからと言われています。

近頃の大相撲では、横綱を張れるのは専ら外国人で、日本人ではなくなりました。日本人もまた横綱を張れるようになれば、この日本国は再び清く明るい時代を迎えられるようになるでしょう。

「大伴の 遠つ神祖の おくつきは しるく注連立て 人の知るべく」
(万葉集)

今年は、われわれの心にも注連縄を大らかに結びたいものです。

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